縋る
最近、成功者や意識高い人の話ばかりを聞いていて忘れてしまっていたが、そもそも私はそういった人々とは対極に位置する人間だ。
怠惰で流されやすく、努力が嫌い。他人には無関心。楽して生きたい。勉強もしたくない。
そのくせ真面目に働いて、勉強もしている。人当たりは良く、他人に笑顔で接する。
そして、看護師という仕事に対して負の感情を抱えながらも、結局はその道を選んでしまう...。
矛盾だらけの人生...。
なんか、勢いで結婚して、本性を表した旦那に不満を持ちながらも収入を頼ってしまっているから離婚できず、ストレスを抱えながらもだらだらと結婚生活を続けている主婦みたいだ...。
セミリタイアを当てはめると、10年後に半同居生活を送るようなものか...。
それまでに和解できるのか、縁を切って再婚相手を探すのか。それともずっとこのままなのか...。
ちなみに上記の主婦は私の母親なのだが、彼女はついぞ離婚せぬまま、昔のヒステリックが嘘のように今は穏やかに過ごしている。曰く、"悟った" と。
私にもいつか"悟る"日が来るのだろうか...。
...というのはひとまず置いておいて、色々考えているうちに、看護師として働き続けると一つメリットがある事に気づいた。
それは、ブログのテーマになり得るということ。
今時看護師のブログなど珍しくも何とも無いだろうが、私が働いている部署はやや専門性のある部署なのだ。ググっても個人ブログは出でこないし、youtubeで検索してもそれらしい動画はあまり無い。かなりニッチな需要ではあるだろうが、まだ開拓されていない分野でもあるようだ...。
競合の激しい分野で勝ち上がっていく自信はない。しかしあまり開拓されてない分野でコツコツやっていくのならまだやれる気がする。需要はあるか分からないが...ブログには、そういう重箱の隅にくっついた米粒みたいな情報が求められているような気もする...。あとは書き方、技術次第だろう。
このニッチ分野ブログ戦略にはもう一つメリットがある。それは、本業と副業に相互作用がある事だ。本業の勉強をすればブログのネタにできる。記事を書く為に勉強をすれば本業にも生かすことができる。
まさに一石二鳥!合理的!最大の効果!やったー!
まあでも、収入には期待しちゃダメだろうな...。
こんな感じで、結局は看護師という仕事に縋りながら生きていくことになりそうだ...。
働きたくない
なんて言いながら、分かってるんです、貧乏人は働かなきゃ生きていけないって。
しかし、インターネットとは本当に便利なもので、そんな悩める私に先人の知恵を授けてくれる。
「嫌ではない仕事をするといいよ」って...
ん〜〜なるほど!!
あれ?でも嫌ではない仕事ってなんだ...??
「他の人からすると苦痛な事でも、自分はそんなに苦痛に思わない事をするといいよ」って...
おお〜頭良い!!
そんな風に考えながら仕事を選ぶのか〜!
...さて、ここからは自己分析の時間だ。
人間の性格は、大きく"外交型"と"内向型"に分けられるらしい。
その2つでいうと、私は圧倒的に後者である。このコロナ禍での外出自粛やソーシャルディスタンスで、ノーダメージどころか快適さを感じるぐらいには。さらにいうと、あくまでネット上での診断だが、INFP型でHSP要素あり、スキゾイド傾向あり...おぉ...これは...まあまあ生きづらいタイプなのでは...?
そして、こういうタイプに向いている仕事は
・人との関わりが少ない
・黙々と作業する
・自分のペースで仕事ができる
向いてない仕事は
・人と沢山接する
ってな具合らしい。
はい、看護師アウトー!!そりゃキツいわけだわ。
一方で、内向型に向いているとされている仕事だが...喜ばしいことに、この世にちゃんと存在しているようで、調べると色々でてくる。それらの中では、webライターが特に気になっている。
そんなわけで、手始めとしてとりあえずブログを始めてみたが...どちらかというと情弱なので、為になる情報の発信は、今のところできない。しかし何か書いてみたいと思ったのは確かなので、私の頭に無尽蔵に生えてくる雑念を書いてみることにした。これに対し、ただの日記じゃん、Twitterでいいじゃん等等雑念がまた言ってくる訳だが、一旦それらは無視してとりあえずやってみるとこにした。ひとまずは文字を書くことに慣れたい。お金にならなくても、趣味としても楽しそうだし。
あーでもやっぱり働きたくない...。一度ニートにでもなってみようかな...?
仕事
私は看護師として働いている。
なぜ看護師をしているかというと、看護師の資格を持っているからだ。
なぜ看護師の資格を持っているかというと、4年制大学の看護学部に通い看護師国家試験に合格したからだ。
なぜ看護学部に進学したかというと...特別な動機はない。あえて言うなら親や先生に勧められたからだ。
正直、看護師がどんな事をしているかなんて全然知らなかったし、興味も無かった。安定しているよ、女性が働くなら看護師が良いよ。そんな言葉をただ鵜呑みにし、進路を決めた。結果、沢山のツケを払う事になっている。
後悔は何度もした。
一番最初にした後悔は、看護学概論の1回目の講義を受けた時。具体的には覚えていないが、あまりの前時代的な内容(※個人的な感想)に衝撃を受けた。看護師とは科学的で論理的でそれなりに先進的な感じだろうと思っていたのだが、それは誤りであると知ってしまった...。その時、直感的に進路を間違えたと感じた。しかし、もう入学してしまったから今さら辞める訳にもいかないし...とその道を進み続ける事にした。
その後、演習、実習、就職...と後悔したタイミングはいくつも有った。"単位落としたら辞めよう"、"合格しなかったら辞めよう"、"内定貰えなかったら辞めよう"...そんな考えとは裏腹に、それらを全てクリアしてしまい、未だに看護師を続けている。悪い意味で真面目な性格のせいだ。
仕事自体はそれなりにこなしている。多分、その気になれば今の職場でも長く働く事もできるだろう。向上心は求められない。業務ができればそれでいい。しかし、そのような想像をすると決まって絶望的な気分になる。物理的には可能でも精神的には不可能だ。
どちらかと言うと、私は死にたい。自殺したいのではなく、死すべき時が来たらそのまま死にたいと言う意味で。これは延命に延命を重ね、自分では体を動かす事ができず褥瘡ができ、全身は拘縮していき、食事もできず経鼻栄養(又は点滴)を入れられ、排泄はオムツで決められた時間に交換され、本人は認知症でベッドの上(又はせいぜい車椅子)で虚ろな目をしており、しかし家族の希望で有事の際はできる限りの延命をされる、その割に家族は面会に全然来ない(ここに関してはコロナ前の話)...といった個人的この世の地獄を見てしまった事も関係しているかもしれない。しかも、こういった医療行為は我々の血税で賄われている...。
もちろん、世の中には素晴らしい医療が沢山あると思う。しかし、今の現場で医療界の闇を垣間見てしまい、医療に対し嫌悪感すら感じでしまっている。
私は今年で27歳になる。
転職するなら今しかないと考えている。
とりあえず、今の職場は3年働けば退職金が出る。それをタイムリミットにしようと思う。
つまり、来年の3月。
道のりは険しくなるだろうが、もうこれ以上後悔はしたくない。
背水の陣で頑張るしかない。
看護師を続けざるを得なかった場合は、サイドFIREに向けて全力疾走する。
首都圏に出て、給料の高い病院で鬼のように働く。
その場合、仕事は手段として完全に割り切る。
私の人生設計、今のところこんな感じ。
日の出と共に起きる
早起きするのがしんどい...。
陽が出ないうちに出勤し、陽が落ちてから帰路につく...。
高校生の時もそんな生活だった...。
でも、当時はこう思っていた...。
「卒業すればこんな生活は終わりだ」
大学に入り、実習中もそんな生活だった...。
当時もこう思っていた...。
「実習が終わればこんな生活は終わりだ」
それが、社会人4年目の今、かつて無い早起きをしている...。
仕事に疲れ果て、なんにも気力が湧かない。
なんてザマだ。
何のために生まれて何をして生きるのか?
分からない...。
一生このままなのか?
それだけは絶対に嫌だ...。
私が本当に欲しいのは時間...。
労働に縛られない自由な人生...。
勤労の義務を奴隷のように果たさなくて良くなった時、私は一体何をしたくなるのだろうか...?
今年、貯金が1000万円貯まった...。
これまで、何となく「貯めといた方がいいだろう」と思って貯めてきたお金だ...。
半分程は自分で稼ぎ、残りは貰ったお金...。
そして、今年私が貯蓄した額はおよそ100万円...。
消費したお金はおよそ200万円...。
これらの数字より、以下の事が明らかになった...。
10年間、1年あたり200万円の投資をすると、セミリタイアができる。
既に1000万円はあるので、あとは10年間で1000万円を稼ぎ、投資する...。1年あたり、100万円...。
これなら...できる...!?
もう少し倹約し、給料の良い職場に行けばもっとやれるはず...。
ああ、時間がほしい...。
せめて明るくなってから起きたい...。
10年後の自由のために10年間頑張ろう...。