雑記〜クォーターライフ・クライシスを添えて〜

九州人,26歳,女(X),看護師,無気力,悲観的,な人間がグダグダと考えている事を書くだけ

仕事

私は看護師として働いている。

なぜ看護師をしているかというと、看護師の資格を持っているからだ。

なぜ看護師の資格を持っているかというと、4年制大学看護学部に通い看護師国家試験に合格したからだ。

なぜ看護学部に進学したかというと...特別な動機はない。あえて言うなら親や先生に勧められたからだ。

正直、看護師がどんな事をしているかなんて全然知らなかったし、興味も無かった。安定しているよ、女性が働くなら看護師が良いよ。そんな言葉をただ鵜呑みにし、進路を決めた。結果、沢山のツケを払う事になっている。

 

後悔は何度もした。

一番最初にした後悔は、看護学概論の1回目の講義を受けた時。具体的には覚えていないが、あまりの前時代的な内容(※個人的な感想)に衝撃を受けた。看護師とは科学的で論理的でそれなりに先進的な感じだろうと思っていたのだが、それは誤りであると知ってしまった...。その時、直感的に進路を間違えたと感じた。しかし、もう入学してしまったから今さら辞める訳にもいかないし...とその道を進み続ける事にした。

その後、演習、実習、就職...と後悔したタイミングはいくつも有った。"単位落としたら辞めよう"、"合格しなかったら辞めよう"、"内定貰えなかったら辞めよう"...そんな考えとは裏腹に、それらを全てクリアしてしまい、未だに看護師を続けている。悪い意味で真面目な性格のせいだ。

 

仕事自体はそれなりにこなしている。多分、その気になれば今の職場でも長く働く事もできるだろう。向上心は求められない。業務ができればそれでいい。しかし、そのような想像をすると決まって絶望的な気分になる。物理的には可能でも精神的には不可能だ。

 

どちらかと言うと、私は死にたい。自殺したいのではなく、死すべき時が来たらそのまま死にたいと言う意味で。これは延命に延命を重ね、自分では体を動かす事ができず褥瘡ができ、全身は拘縮していき、食事もできず経鼻栄養(又は点滴)を入れられ、排泄はオムツで決められた時間に交換され、本人は認知症でベッドの上(又はせいぜい車椅子)で虚ろな目をしており、しかし家族の希望で有事の際はできる限りの延命をされる、その割に家族は面会に全然来ない(ここに関してはコロナ前の話)...といった個人的この世の地獄を見てしまった事も関係しているかもしれない。しかも、こういった医療行為は我々の血税で賄われている...。

もちろん、世の中には素晴らしい医療が沢山あると思う。しかし、今の現場で医療界の闇を垣間見てしまい、医療に対し嫌悪感すら感じでしまっている。

 

私は今年で27歳になる。

転職するなら今しかないと考えている。

とりあえず、今の職場は3年働けば退職金が出る。それをタイムリミットにしようと思う。

つまり、来年の3月。

道のりは険しくなるだろうが、もうこれ以上後悔はしたくない。

背水の陣で頑張るしかない。

 

看護師を続けざるを得なかった場合は、サイドFIREに向けて全力疾走する。

首都圏に出て、給料の高い病院で鬼のように働く。

その場合、仕事は手段として完全に割り切る。

 

私の人生設計、今のところこんな感じ。